えさ台に鳩がくる

日々の思ったこと、書く

春眠不覚暁

数日ぶりに春の陽気の中でうららかな心地になっている。
こんな日は本当は業務もしたくない。しかし、世間が休日
であっても、働かなければならないのはやはりつらい。
学生の時分は、春の陽気にさらされて、学業など忘れて
空港近くの公園で一日中横になったものだ。それほど、春
の陽気の魅力は強く、人を堕落させる。
春の心地よさをこういった側面から切り取ったものに孟浩
然の「春暁」がある。僕はこの詩が大好きだ。
春の心地よさに共感できるという点がひとつ。
起承転結が非常にわかりやすいところがもうひとつ。

春眠不覺暁 春眠暁を覚えず
處處聞啼鳥 処々に啼鳥を聞く
夜來風雨聲 夜来風雨の声
花落知多少 花落つること知る多少

春の眠りは心地よいので、寝坊しっちゃた
ところどころから鳥が鳴いているのが聞こえるなあ
そういえば昨晩は雨風の音がしていたっけ
花はどれくらい落ちてしまったんだろうなあ


起句の「春眠暁を覚えず」テーマは春、朝であって
起きられない(おそらく寝具の中にいること)がわかる。
春ということから、うららかなイメージ。起きられないのは
心地よいからであろうことがわかる。「暁」は単なる明け方
の意味だけれども、この言葉から晴れているのだろうことも
想起される。
承句で春の朝に起きられないという話を受け継いで、鳥が鳴
いているという題材をもってくる。朝チュンなんて言葉もあ
るようにこれは朝に親和的だ。「処々」というところから起
きてないけど聞こえるなーといった、投げやりな感じも捉え
られる。
転句は打って変わって、朝から夜へ。晴れていたところから
雨へ、穏やかな春の眠りから、風の音がする状況へと変わる
結句になると再び朝に戻り、しかも雨の話も受け継いで、花
落ちちゃっただろうな、どれくらいだろうな(でもだるいの
で起きられないや)とまとめる。

こういう味わいのある詩は有名な詩には多く見られる。今回
は春がテーマだったのでこれを紹介した。もちろん、これ以
外の解釈もあるかもしれない。でも、絶句を味わう際には是
非とも起承転結を意識してその味わいを反芻してほしい。