えさ台に鳩がくる

日々の思ったこと、書く

から騒ぎの夜

 僕はクリスマスが嫌いだ。もちろん僕がまだ少年と言われた時分には、クリスマスに心躍ることもあった。しかし、それも極めて物質的な見返りを期待してのことだった。「よい子」であることの束縛から解放されてみると、この日に関して、自分の取り分が何一つ残されていないことに気が付いた。事実、クリスマスに人と人のつながりや、まして何か神聖な、奇跡めいたつながりを感じたことはただの一度も何もなかった。テレビをつければどこかのミュージシャンがしみったれた曲でもう30年近くも「人」を待っている。街はどこもかしこも単調な調子でシャンシャンとベルの音を流して脳の奥を侵害してくる。なにより、「聖なる夜」「聖なる夜」と連呼する割には、聖なるところを微塵も感じさせない。そういった資本主義的なスクルージ的なイベントに成り下がったクリスマスに対して、隠者のように世の中から距離を置きたくなる気持が僕をしてクリスマスを嫌いにさせた要因なのかもしれない。とはいえ、クリスマスにプレゼントを贈りあったりすることは、これはこれで、喜ばしい。そういう人間の矛盾すらも包み込むのがクリスマスであるのならば、あながち「聖なる夜」というのも間違いではないのだろう。そんなクリスマスの心の広さに甘えつつ最後になおも言いたいことがある。

 僕はクリスマスが嫌いだ。