えさ台に鳩がくる

日々の思ったこと、書く

泣いた話

 僕は泣くことが苦手だ。とはいえ実際はよく泣いている。ただ、人前で泣くのは苦手だし、人のために泣くのも苦手だった。泣くと苦しい気持ちになるのというのが理由の一つだが、それだけではなかった。単純に人の悲しい話題で泣けないというのもあった。幼い時分、お涙頂戴番組を家族で視聴していた折、家族が泣くなか僕はきょとんとしていた。母親は「お前には人間的感情がないの?」なんて言って叱ったのだけれども逆効果だった。僕は真実その時は悲しくなかったし、人の感情をそうやって強制しようとする親に腹だたしい気持ちさえ起こってしまった。でもその異常性もわかってはいた。なので、自分は人並みの感情さえ持ち合わせない落伍者なのだとひどく落ち込んでいた。それで、この手の感動ものの話題は自分にとって禁忌になってしまった。かくして今日まで人のために泣けないということが続いていたのである。

 しかし、先日、僕のごく身近なところで、悲しい出来事が起こった。その出来事に関して深く言及することはしない。しかし、ある卑怯で卑劣な行いによって、その人の意志の出鼻がくじかれんとされる事態が起こったということだけは触れておく。僕は生来卑怯で卑劣な行為を憎んでいた。そこだけは、人間的であった。その卑怯で卑劣な行いが自分のごく身近な人に降りかかった。もちろん僕は、その人の頑張りを少なからず見てきたし、応援もしていた。その道のりに全く身勝手に置き石をしていった人が許せなかった。そして、その身勝手を被ったその人の無念さをおもんぱかると、心底から辛い思いなった。かくして、その人と話している最中に図らずも僕は、数十年ぶりに人のために泣いた。それまでも、幾度か人の辛い場面を見て悲しいという感情を抱いたことがあったが、泣いてしまうことはなかった。

 その後、その人の見に降りかかった災いは、周囲の助けもあって取り除かれたが、僕に人間的な感情を回復させる契機となった、人物への怒りというものは、いまだに僕の中で、静かに燃え続けている。